坂本龍馬暗殺の黒幕は誰かをめぐる諸説
1867年、京都の近江屋で坂本龍馬は何者かに襲撃され、盟友の中岡慎太郎とともに落命した(近江屋事件)。事件直後は新選組の犯行と噂されたが、後年の元京都見廻組隊士による自供から見廻組説が有力視されるようになった。一方で、いろは丸事件を巡る紀州藩の報復説や、路線対立を背景とする薩摩藩黒幕説も唱えられており、真の黒幕については今なお議論が続いている。
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明治2年の取調べで、元京都見廻組隊士の今井信郎は、与頭の佐々木只三郎を首謀者とし部下数名とともに坂本龍馬を殺害したと供述した。この口述筆記が大正期に『坂本龍馬関係文書』として公刊されて以降、文献的な裏付けを持つ説として長く支持されており、現在最も有力な通説として扱われている。
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龍馬が組織した海援隊は、事件直前に紀州藩の船と衝突した「いろは丸事件」で紀州藩側に多額の賠償を認めさせていた。現場に残された刀の鞘が紀州藩士の用いる型式に似ていたとされることから、その報復として紀州藩士が関与したとする見方も当時から唱えられたが、実行犯は特定されないまま終わった。
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大政奉還という穏健路線を進める龍馬と、武力倒幕を志向する薩摩藩との間に路線対立があったとする見方から、薩摩藩が黒幕であったとする説が唱えられてきた。松平春嶽の書状にこれを示唆する記述もあるが、当時の土佐藩や中岡慎太郎自身も倒幕路線にあった事実と矛盾するとの指摘があり、史料的な裏付けは乏しい少数説である。
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