チンギス・ハンの埋葬地の謎をめぐる諸説
1227年、西夏遠征の陣中で没したチンギス・ハンの遺体はモンゴル高原へ運ばれて埋葬されたと伝わるが、その正確な場所は秘匿されたまま今日に至るまで確認されていない。歴代のモンゴル皇帝が葬られたとされる聖域「起輦谷」の所在地についても複数の比定案があり、近年の考古学調査でも決定的な発見には至っておらず、真の埋葬地は今なお謎に包まれている。
あなたが支持する説は?(クリックで投票/何度でも変更できます)
-
『元朝秘史』にみえる聖なる山クレルグ山を、埋葬地とされる「起輦谷」の転写とみる見方が現在最も広く認められている。この地はモンゴル高原ヘンティー山中のブルハン・ハルドゥン山周辺に比定され、2015-16年のフランス・モンゴル合同調査では山頂付近で大型の塚状地形もドローンで確認されており、最有力の候補地とされる。
-
「起輦谷」という地名を、モンゴル高原を流れるケルレン川の源流域と結び付けて解釈する説もある。クレルグ山への転写説とは異なる地名比定に基づくものであり、現在では最有力視されるクレルグ山説ほどの支持は得られていないが、埋葬地の所在を巡る学術的な議論の中で提示されてきた有力な異説の一つである。
-
2001年、アメリカ・モンゴル合同調査隊がウランバートル北東約320キロのバトシリート地方、オノン川流域で城壁に囲まれた大規模な墳墓群を発見した。未開封のまま調査が中断されており、チンギス・ハンとの関連は確認されていないが、起輦谷とは別の候補地として一部研究者の関心を集めた少数説である。
※「支持度」は学術的な位置づけの目安です。投票結果は学説の正しさを示すものではありません。
この偉人が登場するバトル:史上最大の征服者は?