クレオパトラ7世の死因をめぐる諸説

紀元前30年、アクティウムの海戦での敗北とアントニウスの死の後、プトレマイオス朝最後の女王クレオパトラ7世は自死したと伝えられる。だが死因は、同時代のストラボンやのちのプルタルコス、カッシウス・ディオら古代の史料でも記述が一致せず、今日まで定説がない。

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