クレオパトラ7世

プトレマイオス朝最後の女王。 ローマとの関係を通じてエジプトの独立を保とうとしたが、その死とともに古代エジプト王朝は幕を閉じた。
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この人物をめぐる諸説
クレオパトラ7世の死因
紀元前30年、アクティウムの海戦での敗北とアントニウスの死の後、プトレマイオス朝最後の女王クレオパトラ7世は自死したと伝えられる。だが死因は、同時代のストラボンやのちのプルタルコス、カッシウス・ディオら古代の史料でも記述が一致せず、今日まで定説がない。
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エジプトコブラなどの毒蛇に身を噛ませたとする、最も広く知られる説。プルタルコスの伝記に記され後世に定着した。ただし著者自身が真相は誰も知らないと断り、毒針や塗り毒の可能性も併記している。
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蛇毒は死まで時間がかかり確実性を欠くとして、あらかじめ用意した毒物を服用したとする説。同時代のストラボンも塗り毒に触れ、近年は独の古代史家C.シェーファーがアヘン・ドクニンジン・トリカブトの毒物説を提示している。
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腕に残る二つの刺し傷から、中空の櫛や毒を塗った髪留めの針で毒を体内に入れたとする説。プルタルコスとカッシウス・ディオがこの刺し傷に言及している。
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クレオパトラ7世の容姿・美貌の真相
エジプト女王クレオパトラ7世は、後世には「世界三大美人」の一人にも数えられる絶世の美女として広く語り継がれてきた。一方、同時代に近いローマの歴史家プルタルコスは、彼女の魅力の核心を容姿そのものよりも会話・知性・声にあったと記しており、現存する貨幣の横顔も理想化された美女像とは異なる特徴的な顔立ちを示す。実際の容姿がどの程度美しかったのかは、確実な同時代史料が乏しいこともあり、今も評価が分かれている。
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1世紀の歴史家プルタルコスは、クレオパトラの美貌自体は人目を引くほど並外れたものではなかったとしつつ、その会話の魅力、機知に富んだ人柄、そして楽器のように甘美な声が人を強く惹きつけたと記した。今日の歴史学では、彼女の影響力の源泉を容姿よりも知性と話術に求める理解が広く共有されている。
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クレオパトラ自身が発行させた貨幣には、突き出た鼻や角張った小さな顎など、理想化されていない特徴的な顔立ちが刻まれている。同時代の確実な図像資料はこの貨幣にほぼ限られるため、実際の容姿は伝説的な美女像とは異なり平凡なものだったとする見方も有力に唱えられているが、断定には至っていない。
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クレオパトラは「世界三大美人」の一人に数えられるなど、後世には絶世の美女として広く語り継がれてきた。演劇や映画等の影響で一般に浸透したイメージだが、同時代の確実な史料による裏付けは薄く、後世の潤色である可能性も指摘される、学術的には慎重に扱われるべき俗説である。
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この偉人が登場するバトル
人物解説
家系図
- 同じ王朝の前の君主:ラメセス2世
年表
- 前51年 父の後を継ぎ、弟と共同で即位
- 前48年 カエサルと結んで権力を確立
- 前31年 アクティウムの海戦でオクタウィアヌスに敗れる
- 前30年 自害。プトレマイオス朝と古代エジプト王朝が滅亡
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出典・このページについて
最終更新: 2026年8月27日
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