クレオパトラ7世

クレオパトラ7世の肖像
君主 古代エジプト王朝
時代古代
王朝古代エジプト王朝
在位前51年〜前30年

在位 21年長期在位ランキング 歴代 30位/全49名

プトレマイオス朝最後の女王。 ローマとの関係を通じてエジプトの独立を保とうとしたが、その死とともに古代エジプト王朝は幕を閉じた。

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この人物をめぐる諸説

クレオパトラ7世の死因

紀元前30年、アクティウムの海戦での敗北とアントニウスの死の後、プトレマイオス朝最後の女王クレオパトラ7世は自死したと伝えられる。だが死因は、同時代のストラボンやのちのプルタルコス、カッシウス・ディオら古代の史料でも記述が一致せず、今日まで定説がない。

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クレオパトラ7世の容姿・美貌の真相

エジプト女王クレオパトラ7世は、後世には「世界三大美人」の一人にも数えられる絶世の美女として広く語り継がれてきた。一方、同時代に近いローマの歴史家プルタルコスは、彼女の魅力の核心を容姿そのものよりも会話・知性・声にあったと記しており、現存する貨幣の横顔も理想化された美女像とは異なる特徴的な顔立ちを示す。実際の容姿がどの程度美しかったのかは、確実な同時代史料が乏しいこともあり、今も評価が分かれている。

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この偉人が登場するバトル

人物解説

プトレマイオス朝はアレクサンドロス大王の後継者の一人が興したマケドニア系の王朝で、クレオパトラ7世はその最後の統治者となった。歴代の王とは異なりエジプト語をはじめ複数の言語を解したと伝えられ、外交手腕にも優れていたとされる。父の死後、慣例に従って弟と共同統治を始めたが、やがて実権をめぐり対立した。内乱のさなかローマの実力者カエサルと結んでその子カエサリオンを儲けたとされ、カエサル没後はアントニウスと結んで同盟を強化し、複数の子をもうけながらエジプトの独立維持を図った。しかし前31年、ローマの覇権を争うオクタウィアヌスとのアクティウムの海戦でアントニウス・エジプト連合軍は敗北し、翌前30年、アントニウスの自害に続いて彼女も命を絶った。毒蛇を自らの身に噛ませて死んだと伝えられるが、その具体的経緯には諸説ある。この死によってプトレマイオス朝は滅び、エジプトはローマの属州に組み込まれた。

家系図

年表

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出典・このページについて

最終更新: 2026年8月27日

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