ハトシェプスト女王

ハトシェプスト女王の肖像
君主 古代エジプト王朝
時代古代
王朝古代エジプト王朝
在位前1479年〜前1458年

在位 21年長期在位ランキング 歴代 30位/全49名

古代エジプト新王国時代に即位した数少ない女性ファラオ。 テーベに壮麗な葬祭殿を築かせ、対外交易でも国を繁栄させた。

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この人物をめぐる諸説

ハトシェプストはなぜ記録から抹消されたのか

エジプト新王国第18王朝の女王(ファラオ)ハトシェプストは、その死後、名や肖像の多くが神殿や記念碑から削り取られ、後代の王名表からも除外された。この抹消がいつ、誰の意図によって、どのような理由で行われたのかについては20世紀以来エジプト学で議論が続いており、単一の説明では捉えきれない複合的な事情が指摘されている。

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人物解説

古代エジプト第18王朝の王で、夫トトメス2世の死後、幼い甥トトメス3世の摂政となり、のちに女性でありながら自ら王位を宣言した数少ないファラオとなった。正統性を示すため、公的な像や浮き彫りでは付け髭など男性ファラオの姿で表されることが多かった。テーベのデイル・エル=バハリに壮麗な葬祭殿を築かせ、紅海沿岸のプントへ大規模な交易遠征を派遣して乳香樹や没薬、金、象牙などをもたらし、国を繁栄させた。カルナック神殿には自らの権威を示す巨大なオベリスクも建立している。葬祭殿の造営には側近の高官センエンムトが深く関わったと伝えられる。前15世紀頃、約20年に及んだ治世は概ね平和で、大規模な軍事遠征よりも交易と建築事業に重点が置かれたとされる。死後、トトメス3世の治世末期には彼女の名や像の多くが削り取られたことが知られ、その動機については後継の正統性を強調するためなど諸説ある。

家系図

年表

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出典・このページについて

最終更新: 2026年8月27日

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