ハトシェプスト女王

古代エジプト新王国時代に即位した数少ない女性ファラオ。 テーベに壮麗な葬祭殿を築かせ、対外交易でも国を繁栄させた。
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この人物をめぐる諸説
ハトシェプストはなぜ記録から抹消されたのか
エジプト新王国第18王朝の女王(ファラオ)ハトシェプストは、その死後、名や肖像の多くが神殿や記念碑から削り取られ、後代の王名表からも除外された。この抹消がいつ、誰の意図によって、どのような理由で行われたのかについては20世紀以来エジプト学で議論が続いており、単一の説明では捉えきれない複合的な事情が指摘されている。
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エジプト学者ドナルド・レドフォードらが唱える説で、抹消は個人的な感情によるものではなく、後継者トトメス3世が自らの単独統治と息子への王位継承の正統性を、女性統治者を経なかった系譜として整えるための政治的な措置だったとする。今日のエジプト学で有力視されている解釈である。
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歴史家ジョイス・タイルデスレイやピーター・ドーマンらが指摘する説で、女性が単独でファラオとなったという前例そのものを後世の記録から消し去り、同様の事例が将来起こることを防ぐ狙いがあったとする。政治的正統化説と併せて語られることの多い有力な異説である。
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後継者トトメス3世が、若年期に共同統治者として実権を握り続けた叔母ハトシェプストへの遺恨から、成人後に記念物の破壊を命じたとする説明。かつては広く語られたが、抹消の多くが治世の後半に行われたとみられる点などから、今日のエジプト学では単純な報復説として支持されなくなっている少数説である。
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人物解説
家系図
年表
- 前1479年 甥トトメス3世の摂政を経て共同統治者として即位
- 前1473年 紅海沿岸プントへの大規模な交易遠征を派遣
- 前1458年 死去。トトメス3世の単独統治となる
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出典・このページについて
最終更新: 2026年8月27日
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