ネロ

ネロの肖像
君主 ローマ帝国
時代古代
王朝ローマ帝国
在位54年〜68年

在位 14年長期在位ランキング 歴代 42位/全49名

ローマ大火後の混乱で知られる皇帝。 キリスト教徒への迫害を行ったとされる暴君として名高い。

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この人物をめぐる諸説

ローマ大火の原因・責任

西暦64年7月、ローマ市街の大部分を焼失させる大火が発生した。皇帝ネロは火災発生時ローマを離れており、報告を受けて急ぎ戻り救援活動を指揮したと伝えられる。しかし火災後まもなく、ネロが自ら放火を命じたとする噂が広まり、ネロは民衆の非難をかわすためキリスト教徒に責任を転嫁し迫害を行ったとされる。出火原因については古代から複数の見方があり、現在も確定していない。

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ネロの暴君像の再評価

ローマ皇帝ネロ(在位54-68年)は、母アグリッピナの殺害やローマ大火への関与などを、タキトゥスやスエトニウスら元老院階級の史家によって伝えられ、暴君としての人物像が長く定着してきた。一方でこれらの史料の客観性を疑問視する立場や、民衆や属州からの人気を根拠に統治を再評価する研究も存在し、その実像を巡る議論は今も続いている。

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人物解説

37年、アグリッピナを母としてアンティウムに生まれた。母の策略により大伯父にあたる皇帝クラウディウスの養子となり、その死後16歳で即位してユリウス・クラウディウス朝最後の皇帝となった。治世初期は家庭教師セネカと近衛長官ブッルスの補佐を受けて安定した統治を行ったが、59年には実母アグリッピナを殺害させ、後年には最初の妻オクタウィアも処刑してポッパエア・サビナと再婚するなど粛清を重ねた。64年のローマ大火後には焼失地に壮大な宮殿「ドムス・アウレア」を築く一方、大火の責任をキリスト教徒に負わせて迫害を行ったと伝えられる。65年には元老院議員らによるピソの陰謀が発覚してこれを鎮圧し、関与を疑われたセネカも自殺に追い込まれた。68年、属州総督ウィンデクスやガルバらの反乱が広がる中で元老院から国家の敵と宣告され、逃亡先で自害した。ユリウス・クラウディウス朝は断絶し、その後帝位をめぐる内乱の時代を迎えた。

家系図

年表

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出典・このページについて

最終更新: 2026年8月27日

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