ディオクレティアヌス帝

ディオクレティアヌス帝の肖像
君主 ローマ帝国
時代古代
王朝ローマ帝国
在位284年〜305年

在位 21年長期在位ランキング 歴代 30位/全49名

帝国を東西に分割する四帝統治制を導入した皇帝。 引退後は現在のクロアチアにあたるスプリットに壮大な宮殿を築いて余生を過ごした。

現在の推し 0まだ「推し」がありません。最初のひと押しを!

みんなの評価(★5段階・軸ごとに投票できます)

総合 平均 0件)最初の☆評価を!
功績 平均 0件)最初の☆評価を!
知名度 平均 0件)最初の☆評価を!
カリスマ 平均 0件)最初の☆評価を!

この偉人が登場するバトル

人物解説

ダルマティア地方の下層出身とされ、本来の名はディオクレスといった。軍人としての実績を重ねて284年に皇帝に即位すると、3世紀の軍人皇帝時代の混乱を収拾し、単独統治の限界を克服するため293年に帝国を東西二分し、正帝2名・副帝2名が分担統治するテトラルキア(四帝統治制)を創設した。各皇帝には後継者を養子・姻戚関係で結びつけ、円滑な権力継承を図る狙いがあったとされる。自らは東方の正帝としてニコメディアを拠点とし、皇帝崇拝的な儀礼を導入して専制君主政(ドミナートゥス)と呼ばれる統治体制を確立した。301年には物価と賃金の上限を定めた最高価格令を発して激しいインフレの抑制を図り、税制・行政機構の改革も進めた。303年からは帝国全土でキリスト教徒への大迫害を断行したが、教団の拡大を止めるには至らなかった。305年、健康悪化を理由に自ら退位するという皇帝としては異例の道を選び、現在のクロアチア・スプリットに築かせた壮大な宮殿で晩年を過ごし、311年頃に没したとされる。

家系図

年表

この偉人の伝記・関連書籍 PR

※楽天ブックスの検索結果への広告リンクです。

同じ王朝の君主 ▶ ローマ帝国の偉人をすべて見る

同じ時代の君主 ▶ 古代の偉人をすべて見る

関連する世界遺産

この君主にゆかりのある世界遺産を、姉妹サイト「世界遺産ラボ」で見られます。

出典・このページについて

最終更新: 2026年8月27日

本ページは、公開されている歴史資料・百科事典等をもとに偉人ラボ編集部が作成した参考情報です。年代・事績には諸説ある場合があります。正確な情報は各一次資料・公式情報をご確認ください。

さらに詳しく:Wikipediaで「ディオクレティアヌス帝」を調べる  / 運営者情報:運営元について

← 偉人一覧へ戻る 人気ランキング →