ディオクレティアヌス帝

君主
ローマ帝国
時代古代
王朝ローマ帝国
在位284年〜305年
帝国を東西に分割する四帝統治制を導入した皇帝。 引退後は現在のクロアチアにあたるスプリットに壮大な宮殿を築いて余生を過ごした。
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人物解説
ダルマティア地方の下層出身とされ、本来の名はディオクレスといった。軍人としての実績を重ねて284年に皇帝に即位すると、3世紀の軍人皇帝時代の混乱を収拾し、単独統治の限界を克服するため293年に帝国を東西二分し、正帝2名・副帝2名が分担統治するテトラルキア(四帝統治制)を創設した。各皇帝には後継者を養子・姻戚関係で結びつけ、円滑な権力継承を図る狙いがあったとされる。自らは東方の正帝としてニコメディアを拠点とし、皇帝崇拝的な儀礼を導入して専制君主政(ドミナートゥス)と呼ばれる統治体制を確立した。301年には物価と賃金の上限を定めた最高価格令を発して激しいインフレの抑制を図り、税制・行政機構の改革も進めた。303年からは帝国全土でキリスト教徒への大迫害を断行したが、教団の拡大を止めるには至らなかった。305年、健康悪化を理由に自ら退位するという皇帝としては異例の道を選び、現在のクロアチア・スプリットに築かせた壮大な宮殿で晩年を過ごし、311年頃に没したとされる。
家系図
- 同じ王朝の前の君主:カラカラ帝
年表
- 284年 即位
- 293年 テトラルキア(四分統治)を導入し帝国を再編
- 303年 キリスト教への大迫害を行う
- 305年 自ら退位する(異例の生前退位)
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出典・このページについて
最終更新: 2026年8月27日
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