マルクス・アウレリウス

君主
ローマ帝国
時代古代
王朝ローマ帝国
在位161年〜180年
『自省録』を著した哲人皇帝。 五賢帝の最後で、その死後帝国は衰退へと向かった。
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人物解説
ローマの名門出身で、皇帝ハドリアヌスの意向により、後継の皇帝アントニヌス・ピウスの養子に迎えられた。161年にアントニヌスが没すると即位し、同じく養子であったルキウス・ウェルスと帝国史上初めて二人の皇帝として共同統治を開始した。ウェルスが指揮したパルティア遠征(162~166年)は勝利に終わったが、帰還した将兵が伝染病を持ち帰り、帝国内に疫病(アントニヌスの疫病)を広げる一因となったとされる。166年以降はドナウ川方面でゲルマン系のマルコマンニ人らと戦うマルコマンニ戦争に忙殺され、遠征の陣中でギリシア語により自省のための覚書を綴った。これは後に『自省録』としてまとめられ、ストア派哲学の書として現在も広く読まれている。177年、実子コンモドゥスを共同皇帝に立てて後継者とし、それまでの有能な人物を養子に選ぶ慣例を転換した。180年、ドナウ方面の陣中で病没し、その死後の帝国は動揺の時代へ向かったとされる。
家系図
年表
- 161年 即位。五賢帝最後の皇帝となる
- 170年 マルコマンニ戦争を戦う(陣中で『自省録』を著す)
- 180年 遠征中に死去
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出典・このページについて
最終更新: 2026年8月27日
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