カラカラ帝

君主
ローマ帝国
時代古代
王朝ローマ帝国
在位211年〜217年
ローマ帝国の全自由人に市民権を与えたことで知られる皇帝。 北アフリカの都市ジェミラには彼を讃える凱旋門が残る。
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カリスマ
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人物解説
セウェルス朝の皇帝で、本名はマルクス・アウレリウス・アントニヌスといい、好んで着用したガリア風の外套(カラカラ)にちなむ通称で知られる。在位は198年から217年に及んだ。父セプティミウス・セウェルスの死後、弟ゲタと共同統治を始めたが、まもなく母ユリア・ドムナの面前で弟を殺害し、単独の権力を握ったと伝えられる。212年、アントニヌス勅令を発して帝国内の全自由民にローマ市民権を付与した。その狙いについては、納税基盤の拡大を図ったとする説のほか、帝国全体の一体化を図ったとする説もあり諸説ある。ローマに壮大な公共浴場『カラカラ浴場』の建設を命じ、完成は次代に持ち越されたが今日もその遺構が残る。ゲルマン諸部族やパルティアへの遠征を行うなど軍事にも力を入れたが、217年、パルティア遠征の途上で近衛長官マクリヌスの意を受けた兵士に暗殺され、マクリヌスが後を継いだ。
家系図
- 同じ王朝の前の君主:マルクス・アウレリウス
- 同じ王朝の後の君主:ディオクレティアヌス帝
年表
- 211年 父セウェルスの死後、弟と共同で即位
- 212年 アントニヌス勅令で帝国の全自由民にローマ市民権を付与
- 217年 遠征中に暗殺される
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出典・このページについて
最終更新: 2026年8月27日
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