ローマ大火の原因・責任をめぐる諸説
西暦64年7月、ローマ市街の大部分を焼失させる大火が発生した。皇帝ネロは火災発生時ローマを離れており、報告を受けて急ぎ戻り救援活動を指揮したと伝えられる。しかし火災後まもなく、ネロが自ら放火を命じたとする噂が広まり、ネロは民衆の非難をかわすためキリスト教徒に責任を転嫁し迫害を行ったとされる。出火原因については古代から複数の見方があり、現在も確定していない。
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当時のローマは木造家屋が密集し道幅も狭く、乾燥した気候も重なって火災が発生・拡大しやすい都市構造だったとする説。火はキルクス・マクシムス付近の可燃物を扱う商店から出火し、風にあおられて急速に燃え広がったとみられている。現代の歴史学では都市構造上の脆弱性による偶発的な失火とみる見方が有力である。
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スエトニウスやカッシウス・ディオは、ネロが気に入らない市街地を焼き払い「ネロポリス」と呼ばれる壮麗な宮殿・庭園群を建設する目的で放火を命じたと伝えている。火災前にネロが計画した都市改造案を元老院が拒否したことが動機になったとする見方もあるが、これを直接裏付ける同時代史料はなく、古代からの伝承の域を出ないとされる。
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タキトゥスによれば、放火の噂を払拭できなかったネロは、当時ローマで新興宗教であったキリスト教徒に「人類への憎悪」を理由に罪を着せ、逮捕・処刑して帝国初とされる迫害を行った。キリスト教徒が実際に放火に関与した証拠はなく、火災現場に近い地区に居住し数も少なく反撃力のない集団として標的にされた、根拠の乏しいスケープゴートだったとする見方が一般的である。
出典:Tacitus, "Annals" XV.44/Livius.org「Tacitus on the Christians」
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