ハンニバルのアルプス越えの経路をめぐる諸説
前218年、カルタゴの将軍ハンニバル・バルカは第二次ポエニ戦争において歩兵・騎兵合わせて数万の兵と37頭の戦象を率いてアルプス山脈を越え、イタリア半島に侵攻した。この行軍がアルプスのどの峠を通過したのかは、古代の歴史家ポリュビオスやリウィウスの記述だけでは特定できず、19世紀以降、地理学・考古学、近年は地質学や放射性炭素年代測定まで動員した学説が数多く唱えられてきたが、決定的な確証を得た説は現時点でなく、今なお議論が続いている。
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フランスとイタリアの国境に近いコル・デュ・クラピエ(標高約2,482メートル)を通過したとする説。ポリュビオスが記す行程日数や地形描写との整合性を重視する研究者らによって、20世紀の専門家の間で長く最有力候補とされてきた。歴史家セルジュ・ランセルの評伝などでも支持され、20世紀を通じて広く受け入れられてきた説である。
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アルプスで最も標高が高い部類の峠の一つ、コル・ド・ラ・トラヴェルセット(標高約2,950メートル)を通過したとする説。地質学者ウィリアム・マハニーらの調査により、峠に近い地点の攪乱された土壌層から馬などの糞に由来するとみられる微生物(クロストリジウム属)の痕跡が見つかり、放射性炭素年代測定でおおむね前218年前後と一致するとして2010年代に注目された。険しい高所ながらポリュビオスの記述とも整合的だとして、近年支持を広げている有力な異説である。
出典:W. C. Mahaney らの地質・放射性炭素年代研究/Wikipedia "Hannibal's crossing of the Alps"
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アルプス北西部のプティ・サン・ベルナール峠を通過したとする説。19世紀の歴史家バルトルト・ゲオルク・ニーブールが1828年に提唱し、テオドール・モムゼンの著書「ローマ史」でも支持されるなど、かつては有力視された。しかしポリュビオスが記す地形・行程日数との整合性に難があるとの指摘が20世紀以降相次ぎ、現在では他の峠を推す説が優勢となっており、少数説の位置づけである。
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この偉人が登場するバトル:歴史上最高の軍略家は? / 古代地中海最強の名将は?