ハンニバル・バルカ

ハンニバル・バルカの肖像
武将・軍人
時代古代
種別武将・軍人
生没年前247年〜前183年頃

生涯 64年長寿ランキング 歴代 23位/全65名

カルタゴの将軍で第二次ポエニ戦争を主導した。アルプス越えでイタリアに侵攻したことで知られる。

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この人物をめぐる諸説

ハンニバルのアルプス越えの経路

前218年、カルタゴの将軍ハンニバル・バルカは第二次ポエニ戦争において歩兵・騎兵合わせて数万の兵と37頭の戦象を率いてアルプス山脈を越え、イタリア半島に侵攻した。この行軍がアルプスのどの峠を通過したのかは、古代の歴史家ポリュビオスやリウィウスの記述だけでは特定できず、19世紀以降、地理学・考古学、近年は地質学や放射性炭素年代測定まで動員した学説が数多く唱えられてきたが、決定的な確証を得た説は現時点でなく、今なお議論が続いている。

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この偉人が登場するバトル

人物解説

紀元前247年頃、カルタゴの将軍ハミルカル・バルカの子として生まれた。幼少期に父の前で終生ローマに敵対することを誓ったとされる。若くして義兄ハスドルバルの跡を継いでイベリア半島の軍を率い、紀元前218年に象を伴ってアルプス山脈を越えイタリアに侵攻し、第二次ポエニ戦争を開始した。トレビアやトラシメヌス湖畔の戦いで緒戦を制し、紀元前216年のカンナエの戦いではローマ軍に壊滅的打撃を与えた。その後もイタリア半島に長く留まって転戦したが、本国からの十分な増援は得られなかった。紀元前202年、アフリカに呼び戻されてザマの戦いでスキピオに敗れた。敗戦後はカルタゴの統治改革に努めたが、ローマの圧力を逃れてセレウコス朝などを頼り、最終的に小アジアのビテュニアで追い詰められ、毒を仰いで自ら命を絶ったと伝えられる。後世、ローマの敵将であったスキピオ自身も彼を史上屈指の名将に数えたと伝えられ、その用兵は現在も高く評価されている。

師弟・影響

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生涯・年表

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出典・このページについて

最終更新: 2026年8月27日

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