李白の死の真相をめぐる諸説
「詩仙」と称された唐の詩人李白は、762年に安徽の当塗県で62歳で没したとされる。正史は当地で病死したと伝えるが、その具体的な死因は明らかでない。9世紀の詩人が記した慢性の胸部疾患による病死説のほか、道教の丹薬を長年服用したことによる中毒死とする説、酔って長江の水面に映る月を捉えようとして溺死したとする伝説など、複数の見方が併存している。
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9世紀の詩人皮日休は、李白が胸部の化膿を伴う慢性疾患によって没したと詩に記した。現代の研究者も文献にみえる「腐脇疾」の記述を医学的見地から検討し、脓胸症が慢性化して死に至った可能性を論じている。当塗で病を養いながら没したとする点は正史の記録とも一致し、今日最も広く支持される見方である。
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蜀の出身で若くして道教に入門した李白は、不老不死を求めて丹薬を服用する道士でもあった。丹薬には水銀等の有毒な鉱物が含まれることが多く、長年にわたる服用が晩年の体調悪化や死につながったとする見方が、一部の研究者から唱えられている。確実な証拠は乏しいものの、道教徒としての李白の生涯と符合する説として言及される。
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李白が当塗の采石磯で酒に酔い、川面に映る月を捕らえようと身を乗り出して水に落ち、溺死したとする伝説が宋代以降に広く流布した。詩人らしい最期として人々に愛されてきたが、実際には当地で病没した記録が残っており、史実としては認められていない後世の創作的な逸話である。
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