今川義元の人物像の再評価をめぐる諸説

駿河・遠江・三河を治め戦国今川氏の最大版図を築いた今川義元は、1560年の桶狭間での敗死もあって、公家風の身なりを好み軍事に疎い軟弱な大名として長く語られてきた。しかし1553年に制定した今川仮名目録追加21条にみられる統治能力や、同時代人による高い評価を根拠に、有能な戦国大名として義元を見直す研究が進んでおり、その人物像を巡る評価は今なお一致していない。

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