斎藤一

武将・軍人
時代近代
種別武将・軍人
生没年1844年〜1915年
新選組三番隊組長を務めた剣客。維新後は藤田五郎と名を改め、警察官として西南戦争にも従軍した。
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人物解説
生年は1844年(天保15年)とされ、播磨国明石藩士の子として江戸で生まれたと伝わるが、前半生の経歴には不明な点が多い。京都へ出て新選組の結成期から加わり、三番隊組長兼撃剣師範として隊士の指導にあたった。剣の腕は隊内でも屈指と評されたと伝わる。近藤勇や土方歳三とは一線を画し、鳥羽・伏見の戦い後は江戸へ戻らず会津藩とともに転戦したとされ、会津戦争では母成峠の戦いなどを経て会津若松城の籠城戦を戦い、落城後もなお抗戦を続けたと伝えられる。会津藩降伏後は斗南藩に移り、その後山口二郎と名乗って警視庁に出仕し、警察官としての道を歩んだ。1874年頃には藤田五郎と改名し、会津藩士の娘と結婚したと伝わる。1877年の西南戦争では警部補として従軍し、抜刀隊などで戦功を挙げたとされる。晩年は東京女子高等師範学校で剣術指導や庶務にあたって過ごし、1915年に没した。国家と旧主家への忠義を貫いた生き方は、新選組隊士の中でも際立った存在として今日高く評価されている。
師弟・影響
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生涯・年表
- 1863年 新選組に加わり三番隊組長を務める
- 1868年 鳥羽・伏見の戦い後も会津にて転戦
- 1877年 警視庁警察官として西南戦争に従軍
- 1915年 東京にて死去
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出典・このページについて
最終更新: 2026年8月26日
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