西郷隆盛

西郷隆盛の肖像
武将・軍人
時代近代
種別武将・軍人
生没年1828年〜1877年

生涯 49年長寿ランキング 歴代 41位/全65名

薩摩藩士として明治維新を主導した中心人物。江戸城無血開城を実現したが、後に西南戦争で敗死した。

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この人物をめぐる諸説

西郷隆盛の肖像(顔)の真相

西郷隆盛は写真撮影を好まなかったとされ、本人と確認できる生前の写真は現存が確認されていない。現在広く流布する肖像は、面識のない画家が親族の顔をもとに描いたもので、実際の容貌との一致度については議論が続いている。

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人物解説

薩摩藩の下級武士の家に生まれる。藩主島津斉彬に見出されて頭角を現し、のちに倒幕運動の中心人物として活躍した。薩長同盟の成立や戊辰戦争の指揮に大きな役割を果たし、勝海舟との会談によって江戸城無血開城を実現し、江戸を戦火から救った。明治新政府では参議・陸軍大将などの要職に就き、諸改革を主導した。しかし外交方針をめぐる征韓論の政争に敗れて下野し、郷里の鹿児島に戻った。1877年、不平士族に擁されて西南戦争を起こしたが、新政府軍に敗れ、鹿児島の城山で自刃した。私心の少ない人柄と大局的な指導力で多くの人に慕われ、「敬天愛人」の語とともに、明治維新を代表する人物として今も高い人気を保っている。

師弟・影響

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生涯・年表

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出典・このページについて

最終更新: 2026年8月26日

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