細川ガラシャ

后妃・姫
時代近世
種別后妃・姫
生没年1563年〜1600年
明智光秀の娘で細川忠興の正室。本名は玉(珠)。キリスト教の洗礼を受けガラシャと称した。関ヶ原の戦い直前、大坂の屋敷を敵方に囲まれ、信仰上自ら死を選ばず家臣に命じて最期を遂げた。
現在の推し 0 件まだ「推し」がありません。最初のひと押しを!
みんなの評価(★5段階・軸ごとに投票できます)
総合
平均 —(0件)最初の☆評価を!
功績
平均 —(0件)最初の☆評価を!
知名度
平均 —(0件)最初の☆評価を!
カリスマ
平均 —(0件)最初の☆評価を!
人物解説
明智光秀の三女として生まれ、本名は玉(珠)という。15歳で細川忠興に嫁ぐが、1582年に父が本能寺の変を起こすと「謀反人の娘」として丹後味土野に一時幽閉された。赦免後は大坂の細川屋敷で暮らすなかでキリスト教に触れ、1587年、夫の出陣中に侍女を通じて密かに洗礼を受け、宣教師から「ガラシャ」の教名を授けられたと伝えられる。教名の「ガラシャ」はラテン語で恩寵を意味するとされる。忠興との間には忠隆・忠利ら子女をもうけた。1600年、関ヶ原の戦いの直前に石田三成方が大坂玉造の細川屋敷を包囲すると、人質となることを拒み、キリスト教の教えで自害を禁じられていたため、家臣・小笠原少斎に自らを突かせて最期を遂げたとされる。屋敷には火が放たれた。その壮絶な最期は宣教師の報告書を通じてヨーロッパにも伝えられたとされる。信仰を貫いた生涯は後世に語り継がれ、細川家の歴史においても重要な存在として記憶されている。
師弟・影響
- 父:明智光秀
生涯・年表
- 1578年 細川忠興に嫁ぐ
- 1582年 本能寺の変後、「謀反人の娘」として丹後味土野に幽閉される
- 1587年 大坂でキリスト教の洗礼を受け「ガラシャ」の教名を得る
- 1600年 石田三成方に大坂玉造の細川屋敷を包囲される
- 1600年 家臣に自らを突かせて最期を遂げる
この偉人の伝記・関連書籍 PR
※楽天ブックスの検索結果への広告リンクです。
同じ時代の人物 ▶ 近世の偉人をすべて見る
出典・このページについて
最終更新: 2026年8月26日
本ページは、公開されている歴史資料・百科事典等をもとに偉人ラボ編集部が作成した参考情報です。年代・事績には諸説ある場合があります。正確な情報は各一次資料・公式情報をご確認ください。
さらに詳しく:Wikipediaで「細川ガラシャ」を調べる / 運営者情報:運営元について