細川ガラシャ

細川ガラシャの肖像
后妃・姫
時代近世
種別后妃・姫
生没年1563年〜1600年

生涯 37年長寿ランキング 歴代 52位/全65名

明智光秀の娘で細川忠興の正室。本名は玉(珠)。キリスト教の洗礼を受けガラシャと称した。関ヶ原の戦い直前、大坂の屋敷を敵方に囲まれ、信仰上自ら死を選ばず家臣に命じて最期を遂げた。

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人物解説

明智光秀の三女として生まれ、本名は玉(珠)という。15歳で細川忠興に嫁ぐが、1582年に父が本能寺の変を起こすと「謀反人の娘」として丹後味土野に一時幽閉された。赦免後は大坂の細川屋敷で暮らすなかでキリスト教に触れ、1587年、夫の出陣中に侍女を通じて密かに洗礼を受け、宣教師から「ガラシャ」の教名を授けられたと伝えられる。教名の「ガラシャ」はラテン語で恩寵を意味するとされる。忠興との間には忠隆・忠利ら子女をもうけた。1600年、関ヶ原の戦いの直前に石田三成方が大坂玉造の細川屋敷を包囲すると、人質となることを拒み、キリスト教の教えで自害を禁じられていたため、家臣・小笠原少斎に自らを突かせて最期を遂げたとされる。屋敷には火が放たれた。その壮絶な最期は宣教師の報告書を通じてヨーロッパにも伝えられたとされる。信仰を貫いた生涯は後世に語り継がれ、細川家の歴史においても重要な存在として記憶されている。

師弟・影響

生涯・年表

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出典・このページについて

最終更新: 2026年8月26日

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