崇禎帝

崇禎帝の肖像
君主 明・清王朝
時代近世
王朝明・清王朝
在位1627年〜1644年

在位 17年長期在位ランキング 歴代 40位/全49名

明王朝最後の皇帝。 李自成の反乱により北京が陥落し、自ら命を絶った。

現在の推し 0まだ「推し」がありません。最初のひと押しを!

みんなの評価(★5段階・軸ごとに投票できます)

総合 平均 0件)最初の☆評価を!
功績 平均 0件)最初の☆評価を!
知名度 平均 0件)最初の☆評価を!
カリスマ 平均 0件)最初の☆評価を!

人物解説

1611年に生まれ、諱は朱由検、元号から崇禎帝と呼ばれる。兄天啓帝の急死を受けて1627年に即位し、まもなく専横を極めていた宦官魏忠賢の一派を排除して政治の刷新を図った。しかし小氷期による飢饉や重税を背景に各地で農民反乱が拡大し、李自成や張献忠らの勢力が急速に台頭した。北方では新興の後金(のちの清)が圧力を強め、1630年には北方防衛の要であった将軍袁崇煥を、後金の計略による離間工作もあって反逆の疑いで処刑し、対清防衛にかえって混乱を招いたとされる。在位中は宰相にあたる内閣大学士を頻繁に交代させるなど、猜疑心の強い統治が続いた。1644年、李自成の反乱軍が北京に迫ると、皇后周氏に自害を促したのち、紫禁城裏手の景山で自ら命を絶ち、明王朝は事実上滅亡した。その後まもなく清軍が北京に入城し、中国の支配者は明から清へと交代した。その死は中国史における明清交代の象徴的な出来事とされる。

家系図

年表

この偉人の伝記・関連書籍 PR

※楽天ブックスの検索結果への広告リンクです。

同じ王朝の君主 ▶ 明・清王朝の偉人をすべて見る

同じ時代の君主 ▶ 近世の偉人をすべて見る

出典・このページについて

最終更新: 2026年8月27日

本ページは、公開されている歴史資料・百科事典等をもとに偉人ラボ編集部が作成した参考情報です。年代・事績には諸説ある場合があります。正確な情報は各一次資料・公式情報をご確認ください。

さらに詳しく:Wikipediaで「崇禎帝」を調べる  / 運営者情報:運営元について

← 偉人一覧へ戻る 人気ランキング →