崇禎帝

君主
明・清王朝
時代近世
王朝明・清王朝
在位1627年〜1644年
明王朝最後の皇帝。 李自成の反乱により北京が陥落し、自ら命を絶った。
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人物解説
1611年に生まれ、諱は朱由検、元号から崇禎帝と呼ばれる。兄天啓帝の急死を受けて1627年に即位し、まもなく専横を極めていた宦官魏忠賢の一派を排除して政治の刷新を図った。しかし小氷期による飢饉や重税を背景に各地で農民反乱が拡大し、李自成や張献忠らの勢力が急速に台頭した。北方では新興の後金(のちの清)が圧力を強め、1630年には北方防衛の要であった将軍袁崇煥を、後金の計略による離間工作もあって反逆の疑いで処刑し、対清防衛にかえって混乱を招いたとされる。在位中は宰相にあたる内閣大学士を頻繁に交代させるなど、猜疑心の強い統治が続いた。1644年、李自成の反乱軍が北京に迫ると、皇后周氏に自害を促したのち、紫禁城裏手の景山で自ら命を絶ち、明王朝は事実上滅亡した。その後まもなく清軍が北京に入城し、中国の支配者は明から清へと交代した。その死は中国史における明清交代の象徴的な出来事とされる。
家系図
年表
- 1627年 明の最後の皇帝として即位
- 1630年 将軍・袁崇煥を処刑
- 1642年 松錦の戦いで清に大敗
- 1644年 李自成の反乱軍が北京に迫り自害、明が滅亡
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出典・このページについて
最終更新: 2026年8月27日
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