バーブル

君主
ムガル帝国
時代近世
王朝ムガル帝国
在位1526年〜1530年
ティムール朝の血を引き、ムガル帝国を創始した皇帝。 自らの半生を綴った回想録バーブル・ナーマが残されている。
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カリスマ
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人物解説
中央アジアのティムール朝の一族に生まれ、父方にティムール、母方にチンギス・ハーンの血を引くと伝えられる。少年期にフェルガナ地方の小国を治めたが、有力なウズベク勢力に追われてサマルカンドの奪回と喪失を繰り返した末、1504年にアフガニスタンのカーブルを制圧して勢力の拠点を築いた。その後インド北部の政情不安に乗じて南下し、1526年の第一次パーニーパットの戦いでは火砲を効果的に用いてロディー朝の大軍を破り、デリーとアグラを制圧してムガル帝国を創始した。翌1527年のカーヌワーの戦いでもラージプート勢力の連合軍を撃退し、成立まもない王朝の地歩を確かなものとした。文人としても知られ、チャガタイ語で綴った回想録『バーブル・ナーマ』はテュルク語散文の傑作に数えられ、16世紀の中央アジアからインドにかけての情勢を今に伝える一次史料としても重んじられている。1530年にアグラで没し、遺言により後にカーブルへ改葬されたと伝えられる。その征服はのちに300年余り続くムガル帝国の礎となった。
家系図
- 子:フマーユーン
年表
- 1526年 第一次パーニーパットの戦いでロディー朝を破り、ムガル帝国を建国
- 1527年 カーヌワーの戦いでラージプート連合軍を破る
- 1530年 死去。長子フマーユーンが帝位を継承
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出典・このページについて
最終更新: 2026年8月27日
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