アクバル大帝

君主
ムガル帝国
時代近世
王朝ムガル帝国
在位1556年〜1605年
ムガル帝国の基盤を確立した皇帝。 新都ファテープル・シークリーを築き、アグラ城塞も現在の姿に整えた。
現在の推し 0 件まだ「推し」がありません。最初のひと押しを!
みんなの評価(★5段階・軸ごとに投票できます)
総合
平均 —(0件)最初の☆評価を!
功績
平均 —(0件)最初の☆評価を!
知名度
平均 —(0件)最初の☆評価を!
カリスマ
平均 —(0件)最初の☆評価を!
この偉人が登場するバトル
人物解説
13歳で即位すると、はじめは重臣バイラム・ハーンの後見を受けながら第二次パーニーパットの戦いに勝利し、帝国の基盤を固めた。成人後は親政を敷き、マールワー・グジャラート・ベンガル・カシミールなどへ遠征して領土を大きく広げる一方、ラージプート諸侯とは婚姻や同盟によって融和を図った。非イスラム教徒への人頭税(ジズヤ)を廃止し、軍人・官僚を等級づける「マンサブダール制」や検地に基づく徴税制度「ザブト制」を整えて中央集権的な統治機構を築いた。諸宗教の教えを取り入れた融和的な信仰「ディーネ・イラーヒー」を提唱したことでも知られる。新都ファテープル・シークリーを造営したが、水利の乏しさから後に放棄され、アグラ城塞も現在の姿へと整備された。1605年に没するまでの治世は、宰相アブル・ファズルの『アクバル・ナーマ』などにも記録され、ムガル帝国繁栄の基盤を築いた統治者と評価される。
家系図
年表
- 1556年 13歳で即位。第二次パーニーパットの戦いに勝利
- 1564年 非イスラム教徒への人頭税(ジズヤ)を廃止し融和策をとる
- 1571年 新都ファテープル・シークリーの造営を開始
- 1605年 死去。子ジャハーンギールが継承
この偉人の伝記・関連書籍 PR
※楽天ブックスの検索結果への広告リンクです。
同じ王朝の君主 ▶ ムガル帝国の偉人をすべて見る
同じ時代の君主 ▶ 近世の偉人をすべて見る
関連する世界遺産
この君主にゆかりのある世界遺産を、姉妹サイト「世界遺産ラボ」で見られます。
出典・このページについて
最終更新: 2026年8月27日
本ページは、公開されている歴史資料・百科事典等をもとに偉人ラボ編集部が作成した参考情報です。年代・事績には諸説ある場合があります。正確な情報は各一次資料・公式情報をご確認ください。
さらに詳しく:Wikipediaで「アクバル大帝」を調べる / 運営者情報:運営元について