乾隆帝

君主
明・清王朝
時代近世
王朝明・清王朝
在位1735年〜1796年
清の最盛期を築いた皇帝。 避暑地の承徳に離宮と多くの寺廟を築かせた。
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人物解説
本名は愛新覚羅弘暦。1711年に生まれ、父雍正帝の跡を継いで1735年に即位した。祖父康熙帝の治世を範として統治にあたり、清朝の最盛期を築いた。「十全武功」と呼ばれる一連の遠征を行い、1750年代にはジュンガルを平定して新疆を版図に組み込んだほか、台湾・ビルマ・ベトナムやグルカ方面へも軍を送り、清の領土を最大規模へと広げた。避暑地承徳に離宮避暑山荘と多くの寺廟を築かせ、大規模な漢籍叢書『四庫全書』の編纂も命じたが、その過程で思想統制のための文字の獄も行われたとされる。江南地方を巡る南巡もたびたび行った。祖父の在位60年を超えぬよう、1796年に自ら譲位して太上皇となったが、死去するまで実権を握り続けた。詩文や書画をこよなく愛し、生涯に数万首ともいわれる漢詩を残したとされる。晩年には寵臣和珅の専横による汚職が横行し、財政の悪化や後年の反乱の遠因になったとも指摘される。
家系図
年表
- 1735年 即位
- 1757年 ジュンガルを平定し、清の最大版図を築く
- 1796年 祖父康熙帝を敬い、在位60年で譲位
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出典・このページについて
最終更新: 2026年8月27日
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