フマーユーン

フマーユーンの肖像
君主 ムガル帝国
時代近世
王朝ムガル帝国
在位1530年〜1556年

在位 26年長期在位ランキング 歴代 24位/全49名

ムガル帝国第2代皇帝。 父バーブルの跡を継ぎ、その霊廟フマユーン廟はデリーに残されている。

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人物解説

1530年にムガル帝国の皇位を継承したが、当時の慣行に従い領土の一部を兄弟にも分与したため、当初から求心力を欠いた統治となった。アフガン系の武将シェール・シャー・スーリーとの抗争に敗れ、1539年のチャウサーの戦い、翌1540年のカナウジの戦いで相次いで大敗し、帝国の実権を失って国外へ逃れた。困窮の中で各地を転々としたのち、ペルシアのサファヴィー朝の宮廷に亡命し、シャー・タフマースブ1世から軍事支援を受けて勢力を立て直した。まずカンダハールとカーブルを奪還し、さらに東進してパンジャーブを制圧、1555年にはデリーを奪回して復位を果たした。しかし復位から半年余りのち、書庫を兼ねた城内の階段から転落する事故により急逝した。その霊廟フマユーン廟は妃の発願でデリーに築かれ、庭園式霊廟建築の先駆けとしてのちのタージ・マハルにも影響を与えたとされる。その生涯は、王朝存続の危機を乗り越えた再興の物語として知られる。

家系図

年表

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出典・このページについて

最終更新: 2026年8月27日

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