フマーユーン

君主
ムガル帝国
時代近世
王朝ムガル帝国
在位1530年〜1556年
ムガル帝国第2代皇帝。 父バーブルの跡を継ぎ、その霊廟フマユーン廟はデリーに残されている。
現在の推し 0 件まだ「推し」がありません。最初のひと押しを!
みんなの評価(★5段階・軸ごとに投票できます)
総合
平均 —(0件)最初の☆評価を!
功績
平均 —(0件)最初の☆評価を!
知名度
平均 —(0件)最初の☆評価を!
カリスマ
平均 —(0件)最初の☆評価を!
人物解説
1530年にムガル帝国の皇位を継承したが、当時の慣行に従い領土の一部を兄弟にも分与したため、当初から求心力を欠いた統治となった。アフガン系の武将シェール・シャー・スーリーとの抗争に敗れ、1539年のチャウサーの戦い、翌1540年のカナウジの戦いで相次いで大敗し、帝国の実権を失って国外へ逃れた。困窮の中で各地を転々としたのち、ペルシアのサファヴィー朝の宮廷に亡命し、シャー・タフマースブ1世から軍事支援を受けて勢力を立て直した。まずカンダハールとカーブルを奪還し、さらに東進してパンジャーブを制圧、1555年にはデリーを奪回して復位を果たした。しかし復位から半年余りのち、書庫を兼ねた城内の階段から転落する事故により急逝した。その霊廟フマユーン廟は妃の発願でデリーに築かれ、庭園式霊廟建築の先駆けとしてのちのタージ・マハルにも影響を与えたとされる。その生涯は、王朝存続の危機を乗り越えた再興の物語として知られる。
家系図
年表
- 1530年 父バーブルの死を受けて即位
- 1540年 シェール・シャー・スールに敗れ、帝国を失いペルシアへ亡命
- 1555年 デリーを奪回して復位
- 1556年 書庫の階段から転落して急逝
この偉人の伝記・関連書籍 PR
※楽天ブックスの検索結果への広告リンクです。
同じ王朝の君主 ▶ ムガル帝国の偉人をすべて見る
同じ時代の君主 ▶ 近世の偉人をすべて見る
関連する世界遺産
この君主にゆかりのある世界遺産を、姉妹サイト「世界遺産ラボ」で見られます。
出典・このページについて
最終更新: 2026年8月27日
本ページは、公開されている歴史資料・百科事典等をもとに偉人ラボ編集部が作成した参考情報です。年代・事績には諸説ある場合があります。正確な情報は各一次資料・公式情報をご確認ください。
さらに詳しく:Wikipediaで「フマーユーン」を調べる / 運営者情報:運営元について