巴御前

武将・軍人
時代中世
種別武将・軍人
生没年—
木曾(源)義仲に従ったと伝わる女武者。『平家物語』『源平盛衰記』にその勇猛ぶりが描かれるが、鎌倉幕府の記録『吾妻鏡』には見えず、実在や事績の詳細は判然としない、半ば伝説的な人物である。
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功績
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カリスマ
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人物解説
信濃の武将木曾義仲(源義仲)に従った女武者として、軍記物語『平家物語』や『源平盛衰記』などに描かれる人物である。義仲の妾であったとも伝えられるが確証はない。物語によれば、1183年の倶利伽羅峠の戦いなど義仲の挙兵から上洛にかけて従軍し、力強く武勇を発揮したと描かれる。1184年、義仲が源範頼・義経の軍に敗れた粟津の戦いでも奮戦したのち、義仲の最期を見届けて戦場を落ちのびたと物語には語られる。その後、鎌倉御家人和田義盛の妻となり怪力で知られる朝比奈義秀を産んだと伝える系譜もあるが、年代的な矛盾が指摘されており後世の創作とみられている。同時代の記録である『吾妻鏡』などの史料には見えず、実在したかどうかを含めて史実性には議論があり、後世に理想の女武者像として形作られた半ば伝説的な人物とされる。巴御前を主人公とする能の演目「巴」も今日まで伝えられており、その勇壮な姿は後世の芸能にも取り入れられてきた。
師弟・影響
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生涯・年表
- 1183年 倶利伽羅峠の戦いなど木曾義仲の挙兵・上洛戦に従軍したと伝わる
- 1184年 粟津の戦い(義仲最期の戦い)で奮戦したのち姿を消したと物語に描かれる
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出典・このページについて
最終更新: 2026年8月26日
本ページは、公開されている歴史資料・百科事典等をもとに偉人ラボ編集部が作成した参考情報です。年代・事績には諸説ある場合があります。正確な情報は各一次資料・公式情報をご確認ください。
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