バシレイオス2世

君主
ビザンツ帝国
時代中世
王朝ビザンツ帝国
在位976年〜1025年
ビザンツ帝国の最大版図を実現した皇帝。 ブルガリア帝国を征服し「ブルガロクトノス」の異名で知られる。
現在の推し 0 件まだ「推し」がありません。最初のひと押しを!
みんなの評価(★5段階・軸ごとに投票できます)
総合
平均 —(0件)最初の☆評価を!
功績
平均 —(0件)最初の☆評価を!
知名度
平均 —(0件)最初の☆評価を!
カリスマ
平均 —(0件)最初の☆評価を!
人物解説
958年、皇帝ロマノス2世の子として生まれ、幼くして弟コンスタンティノス8世とともに共同皇帝となったが、実権は摂政や有力な将軍が握った。976年、後見役であった皇帝ヨハネス1世ツィミスケスの死により親政を開始したものの、有力将軍バルダス・スクレロスやバルダス・フォカスらの反乱が相次いだ。フォカスの反乱鎮圧にあたってはキエフ大公ウラジーミルに援軍を求め、その代償として妹アンナを嫁がせるとともにルーシのキリスト教化(988年の受洗)を促したとされる。内乱を収めたのちはブルガリア帝国のサムイル王との戦いに長年従事し、1014年のクレイディオンの戦いで大勝を収めて捕虜の多くを失明させたと伝えられ、この苛烈さから「ブルガロクトノス(ブルガリア人殺し)」の異名で呼ばれた。1018年にはブルガリア帝国を完全に征服し、軍事を重視し華美を避けた質実な統治により国庫を充実させて帝国の版図を最大規模にまで広げた。1025年、遠征を計画する中で死去し、弟コンスタンティノス8世が単独で後を継いだ。
家系図
- 同じ王朝の前の君主:ユスティニアヌス1世
年表
- 976年 単独皇帝として即位
- 1018年 ブルガリア帝国を征服(「ブルガリア人殺し」と呼ばれる)
- 1025年 ビザンツ帝国の最盛期を築いて死去
この偉人の伝記・関連書籍 PR
※楽天ブックスの検索結果への広告リンクです。
同じ王朝の君主 ▶ ビザンツ帝国の偉人をすべて見る
同じ時代の君主 ▶ 中世の偉人をすべて見る
出典・このページについて
最終更新: 2026年8月27日
本ページは、公開されている歴史資料・百科事典等をもとに偉人ラボ編集部が作成した参考情報です。年代・事績には諸説ある場合があります。正確な情報は各一次資料・公式情報をご確認ください。
さらに詳しく:Wikipediaで「バシレイオス2世」を調べる / 運営者情報:運営元について