ムラト1世

ムラト1世の肖像
君主 オスマン帝国
時代中世
王朝オスマン帝国
在位1362年〜1389年

在位 27年長期在位ランキング 歴代 22位/全49名

オスマン帝国のバルカン半島進出を進めた第3代君主。 常備歩兵軍団イェニチェリの基礎を築いた。

現在の推し 0まだ「推し」がありません。最初のひと押しを!

みんなの評価(★5段階・軸ごとに投票できます)

総合 平均 0件)最初の☆評価を!
功績 平均 0件)最初の☆評価を!
知名度 平均 0件)最初の☆評価を!
カリスマ 平均 0件)最初の☆評価を!

人物解説

オスマン家の始祖オスマン1世の孫にあたり、父オルハンの跡を継いでオスマン家第3代の君主となった。1360年代にビザンツ帝国からアドリアノープル(現エディルネ)を奪って新たな拠点とし、後にこれを首都に定めてバルカン半島への進出を本格化させた。1371年のマリツァの戦いではセルビア人諸侯の連合軍を破り、トラキアからマケドニアにかけての地域で優位を確立した。ビザンツ皇帝や近隣のブルガリア君主を臣従させるなど、外交面でも勢力を広げた。征服地のキリスト教徒の子弟を徴用して育成するデヴシルメ制度を整え、これを基盤とする常備歩兵軍団イェニチェリの礎を築いた。またオスマン家の君主として初めて「スルタン」の称号を用いたとされる。1389年のコソヴォの戦いではセルビア公ラザルらバルカン諸侯の連合軍を破って勝利を収めたが、戦場もしくはその直後にセルビア人の刺客に襲われて落命したと伝えられる。跡は子のバヤズィト1世が継いだ。

家系図

年表

この偉人の伝記・関連書籍 PR

※楽天ブックスの検索結果への広告リンクです。

同じ王朝の君主 ▶ オスマン帝国の偉人をすべて見る

同じ時代の君主 ▶ 中世の偉人をすべて見る

出典・このページについて

最終更新: 2026年8月27日

本ページは、公開されている歴史資料・百科事典等をもとに偉人ラボ編集部が作成した参考情報です。年代・事績には諸説ある場合があります。正確な情報は各一次資料・公式情報をご確認ください。

さらに詳しく:Wikipediaで「ムラト1世」を調べる  / 運営者情報:運営元について

← 偉人一覧へ戻る 人気ランキング →