アブド・アッラフマーン1世

君主
ウマイヤ朝
時代中世
王朝ウマイヤ朝
在位756年〜788年
ウマイヤ朝滅亡後、イベリア半島に逃れてコルドバ首長国を築いた人物。 その地に大モスク(メスキータ)の建設を開始した。
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功績
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カリスマ
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人物解説
ウマイヤ朝の一族に生まれ、祖父はカリフヒシャームであった。750年にアッバース朝が一族を滅ぼすと、当時20歳前後であった彼は北アフリカの母方の一族を頼って身を潜め、支持者を集めながらイベリア半島へ渡ったとされる。756年、コルドバ近郊での戦いに勝利して入城し、後ウマイヤ朝(コルドバ首長国)の初代アミールに就いた。各地の地方領主やアッバース朝からの介入をしりぞけて支配を安定させ、後世には「アッダーヒル(移住者)」の異名で呼ばれた。785年頃、都コルドバで大規模な礼拝堂建設に着手し、これが後世の増改築を経て今日に伝わる大モスクメスキータの原型となった。旧祖国シリアを偲んで離宮ルサーファを築き、そこに植えたヤシの木に望郷の思いを託した詩を残したと伝えられる。一族が滅びる中から単身再起し、イベリア半島に長く続く王朝の礎を三十年余りの治世で据えた統治者として知られる。
家系図
- 同じ王朝の前の君主:ワリード1世
年表
- 756年 コルドバに後ウマイヤ朝を建てて君主(アミール)となる
- 785年 コルドバの大モスク(メスキータ)の建設を始める
- 788年 死去
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出典・このページについて
最終更新: 2026年8月27日
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