ジャヤヴァルマン7世

君主
クメール王朝
時代中世
王朝クメール王朝
在位1181年〜1218年
仏教を篤く信仰したクメール王朝の王。 巨大な四面仏顔の寺院バイヨンを築き、多くの病院や道路も整備した。
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功績
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カリスマ
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人物解説
クメール王朝がチャンパ軍にアンコールを占領されるという危機に見舞われた後、1181年頃に王位を継いだとされる。即位後まもなく反撃に転じてチャンパ勢を退け、王朝の復興を成し遂げた。以後は大乗仏教を篤く信仰する王として知られる。新都アンコール・トムを築き、その中心に四面の尊顔で知られる寺院バイヨンを建立した。バイヨンに刻まれた無数の尊顔は、慈悲の菩薩観音(アヴァローキテーシュヴァラ)を表すとも、王自身の姿を重ねたものともいわれ、解釈には諸説ある。亡き母の菩提のためにタ・プロームを、亡き父のためにプリヤ・カーンをそれぞれ建立したと伝えられる。碑文には各地に102の施療院と121の宿駅を設けたと記され、道路網の整備にも意を用いた統治者とされる。1203年頃には長年抗争してきたチャンパを征服し、一時的にその領土を版図に加えたとされる。クメール王朝の版図と仏教文化をともに最大限に広げた王と評価され、在位は1218年前後まで続いたとみられる。
家系図
- 同じ王朝の前の君主:スーリヤヴァルマン2世
年表
- 1181年 チャンパの侵攻を撃退して即位
- 1186年 アンコール・トムと寺院バイヨンを造営
- 1218年 仏教を篤く保護した治世の末に死去(頃)
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出典・このページについて
最終更新: 2026年8月27日
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