ユスティニアヌス1世

君主
ビザンツ帝国
時代中世
王朝ビザンツ帝国
在位527年〜565年
ビザンツ帝国の最盛期を築いた皇帝。 シナイ半島には聖カタリナ修道院を建立させた。
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人物解説
イリュリクムの寒村に生まれ、叔父ユスティヌス1世に見出されて後継者となり、527年に即位した。妃テオドラは元女優という異色の経歴を持ちながら政治にも深く関与し、532年に帝都で起きたニカの乱では、退去を勧める側近に対して『紫の衣は最良の死装束』という古のことわざを引いて逃亡に反対し、皇帝の立場を守らせたと伝えられる。将軍ベリサリウスやナルセスらを用いて北アフリカのヴァンダル王国やイタリアの東ゴート王国を滅ぼし、旧西ローマ領の一部を回復して帝国を最大版図へと導いた。法学者トリボニアヌスらに命じて『ローマ法大全』を編纂させ、後世のヨーロッパ法制に大きな影響を与えた。ニカの乱で焼失した大聖堂に代えてハギア・ソフィアを再建させ、設計は建築家アンテミオスとイシドロスが担当したとされる。その壮麗な建築は今日まで残る。在位は565年まで及び、内政・外征の両面でビザンツ帝国の最盛期を築いた皇帝とされる。
家系図
年表
- 527年 即位
- 534年 『ローマ法大全』を編纂させる
- 537年 ハギア・ソフィア大聖堂を再建
- 565年 旧ローマ領の回復を進めた末に死去
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出典・このページについて
最終更新: 2026年8月27日
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