テオドシウス1世

テオドシウス1世の肖像
君主 ビザンツ帝国
時代古代
王朝ビザンツ帝国
在位379年〜395年

在位 16年長期在位ランキング 歴代 41位/全49名

キリスト教を帝国の国教と定めた皇帝。 その死後、帝国は東西に分割された。

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人物解説

347年頃、ヒスパニアの軍人一家に生まれた。父はローマの将軍で、自身も軍務を経て将才を示したが、父の処刑後は一時引退したとされる。378年のアドリアノープルの戦いで皇帝ウァレンスがゴート族に敗死すると、皇帝グラティアヌスにより379年に東方の正帝に登用された。382年にはゴート族と講和を結んで帝国内への定住を認め、傭兵(フォエデラティ)として取り込んだ。380年のテッサロニキ勅令でニカイア派キリスト教を帝国の国教と定め、381年にはコンスタンティノープル公会議を主催してその正統教義を確立させた。391年以降は異教の祭儀を禁じるなどキリスト教化を強力に推し進め、アリウス派など異端とされた教義も抑圧した。簒奪者マグヌス・マクシムスエウゲニウスを相次いで討って帝国全土を再統一し、東西を統一して治めた最後のローマ皇帝となった。395年1月、ミラノで死去し、帝国を2子アルカディウスとホノリウスに分割相続させたことが、東西ローマ帝国の恒久的分裂につながった。

家系図

年表

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出典・このページについて

最終更新: 2026年8月27日

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