テオドシウス1世

君主
ビザンツ帝国
時代古代
王朝ビザンツ帝国
在位379年〜395年
キリスト教を帝国の国教と定めた皇帝。 その死後、帝国は東西に分割された。
現在の推し 0 件まだ「推し」がありません。最初のひと押しを!
みんなの評価(★5段階・軸ごとに投票できます)
総合
平均 —(0件)最初の☆評価を!
功績
平均 —(0件)最初の☆評価を!
知名度
平均 —(0件)最初の☆評価を!
カリスマ
平均 —(0件)最初の☆評価を!
人物解説
347年頃、ヒスパニアの軍人一家に生まれた。父はローマの将軍で、自身も軍務を経て将才を示したが、父の処刑後は一時引退したとされる。378年のアドリアノープルの戦いで皇帝ウァレンスがゴート族に敗死すると、皇帝グラティアヌスにより379年に東方の正帝に登用された。382年にはゴート族と講和を結んで帝国内への定住を認め、傭兵(フォエデラティ)として取り込んだ。380年のテッサロニキ勅令でニカイア派キリスト教を帝国の国教と定め、381年にはコンスタンティノープル公会議を主催してその正統教義を確立させた。391年以降は異教の祭儀を禁じるなどキリスト教化を強力に推し進め、アリウス派など異端とされた教義も抑圧した。簒奪者マグヌス・マクシムスやエウゲニウスを相次いで討って帝国全土を再統一し、東西を統一して治めた最後のローマ皇帝となった。395年1月、ミラノで死去し、帝国を2子アルカディウスとホノリウスに分割相続させたことが、東西ローマ帝国の恒久的分裂につながった。
家系図
- 同じ王朝の前の君主:コンスタンティヌス1世
- 同じ王朝の後の君主:ユスティニアヌス1世
年表
- 379年 東の正帝として即位
- 380年 テッサロニキ勅令でキリスト教を国教とする
- 395年 死去。死後ローマ帝国は東西に分割される
この偉人の伝記・関連書籍 PR
※楽天ブックスの検索結果への広告リンクです。
同じ王朝の君主 ▶ ビザンツ帝国の偉人をすべて見る
同じ時代の君主 ▶ 古代の偉人をすべて見る
出典・このページについて
最終更新: 2026年8月27日
本ページは、公開されている歴史資料・百科事典等をもとに偉人ラボ編集部が作成した参考情報です。年代・事績には諸説ある場合があります。正確な情報は各一次資料・公式情報をご確認ください。
さらに詳しく:Wikipediaで「テオドシウス1世」を調べる / 運営者情報:運営元について