井伊直虎

井伊直虎の肖像
后妃・姫
時代近世
種別后妃・姫
生没年1582年頃

戦国時代、井伊氏の家督断絶の危機に際して当主となったとされる女性(次郎法師)。今川氏の下で井伊谷を治め、後の徳川四天王・井伊直政(虎松)を養育したと伝わる。生涯には不明点が多く、近年は男性だったとする説も示されている。

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この人物をめぐる諸説

井伊直虎は女性だったのか

戦国時代、女性の当主として井伊谷を治めたとされる井伊直虎(次郎法師)。しかし2016年に井伊美術館が公表した史料『守安公書記』により、直虎は次郎法師とは別人の男性だったとする説が示され、実在した人物像をめぐって議論が続いている。

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人物解説

遠江国引佐郡井伊谷の国衆井伊直盛の娘として生まれ、出家して龍潭寺の南渓和尚の弟子となり次郎法師と名乗ったとされる。
1560年の桶狭間の戦いで父直盛が戦死し、家督を継ぐはずだった従弟の井伊直親も1562年に今川氏真の嫌疑を受けて殺害されると、井伊家は断絶の危機に陥った。
この窮地の中、次郎法師は還俗して井伊直虎を名乗り、井伊谷の当主となって今川氏の下で所領を治めたとされる。
1568年には今川家臣関口氏経と連署し、徳政令の実施を伝える文書を発給するなど領主としての動きが史料に残る。
やがて直親の遺児で後に徳川四天王の一人となる井伊直政(幼名虎松)を養育し、徳川家康への出仕を後押ししたと伝わる。
1582年、直虎は死去した。
なお2016年に公表された史料『守安公書記』を根拠に、次郎法師とは別人の男性が当主直虎を名乗ったとする説も近年示されており、直虎の実像をめぐる議論が続いている。

師弟・影響

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生涯・年表

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出典・このページについて

最終更新: 2026年9月8日

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