前田利家

武将・軍人
時代近世
種別武将・軍人
生没年1538年〜1599年
「槍の又左」と呼ばれた織田家の猛将で、本能寺の変後は豊臣秀吉に協力して重用され、後に豊臣政権の五大老の一人となって加賀百万石の礎を築いた。
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人物解説
尾張国荒子村の土豪前田家に生まれ、少年期から織田信長に小姓として仕えた。若い頃に信長の同朋衆を斬った咎で出仕を止められたが、桶狭間の戦いで功を挙げて帰参を許されたと伝えられる。以後、数々の戦で槍を振るって武功を重ね、「槍の又左」の異名で知られるようになった。秀吉とは信長のもとで若い頃から親交があり、その旧知の間柄がのちの協力関係の基礎になったとされる。柴田勝家の与力として北陸方面を任され、本能寺の変後は豊臣秀吉に接近し、賤ヶ岳の戦いでは柴田方に属しながらも戦線を離脱し、これが秀吉方勝利の一因となったとされる。戦後、秀吉から加賀北部を与えられて金沢城に入り、能登一国を経て加賀・能登・越中にまたがる大領を治める大大名へと所領を広げた。豊臣政権下では秀吉から厚く信頼され、晩年は五大老の一人として徳川家康と並ぶ重きをなした。妻のまつ(芳春院)は聡明な女性として知られ、利家を支えて前田家の存続にも重要な役割を果たしたとされる。1599年、秀吉の死の翌年に大坂で病没した。享年62。その所領は子孫に受け継がれ、加賀百万石と呼ばれる前田家繁栄の礎となった。
師弟・影響
- 主:織田信長
生涯・年表
- 1560年 桶狭間の戦いに参陣
- 1583年 賤ヶ岳の戦いで柴田軍から離反
- 1583年 金沢城に入り加賀支配の基礎を築く
- 1598年 豊臣政権の五大老に列する
- 1599年 大坂にて病没
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出典・このページについて
最終更新: 2026年8月26日
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