北条政子

后妃・姫
時代中世
種別后妃・姫
生没年1157年〜1225年
鎌倉時代初期の女性。源頼朝の正室(御台所)となり、頼朝の死後は出家して尼将軍と呼ばれ、鎌倉幕府の政務に強い影響力を持った。承久の乱では動揺する御家人を前に演説を行ったと伝えられ、幕府方の結束に大きく寄与したとされる。
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人物解説
伊豆の豪族北条時政の娘として生まれ、後に源氏の棟梁となる源頼朝と結婚し御台所となった。1180年の頼朝挙兵後は鎌倉幕府の成立を支え、頼朝との間に頼家・実朝ら子女をもうけた。頼朝の側室問題では、亀の前をめぐる嫉妬の逸話が『吾妻鏡』に記されるなど、気性の激しさを示す逸話も伝わる。1199年に頼朝が死去すると出家して尼となり、以後は尼将軍と呼ばれた。1219年に子の実朝が暗殺されると、京の九条家から幼い藤原(九条)頼経を将軍として迎え、後見役として幕政を主導した。1221年の承久の乱では、動揺する御家人たちを前に頼朝の恩義を説く言葉を発したと伝えられ、幕府方の結束を促して勝利に導いたとされる。1225年に死去した。晩年まで幕府の実権を握り続けたその強い政治力から、後世には「日本三大悪女」の一人に数えられるなど評価が分かれることもあるが、頼朝と共に鎌倉幕府を創始した女性として、日本史上屈指の女性権力者に数えられる。
師弟・影響
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生涯・年表
- 1157年 誕生
- 1177年 源頼朝と結婚
- 1180年 頼朝挙兵
- 1199年 頼朝死去・出家
- 1219年 実朝暗殺
- 1221年 承久の乱
- 1225年 死去
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出典・このページについて
最終更新: 2026年8月26日
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