北条政子

北条政子の肖像
后妃・姫
時代中世
種別后妃・姫
生没年1157年〜1225年

生涯 68年長寿ランキング 歴代 19位/全65名

鎌倉時代初期の女性。源頼朝の正室(御台所)となり、頼朝の死後は出家して尼将軍と呼ばれ、鎌倉幕府の政務に強い影響力を持った。承久の乱では動揺する御家人を前に演説を行ったと伝えられ、幕府方の結束に大きく寄与したとされる。

現在の推し 0まだ「推し」がありません。最初のひと押しを!

みんなの評価(★5段階・軸ごとに投票できます)

総合 平均 0件)最初の☆評価を!
功績 平均 0件)最初の☆評価を!
知名度 平均 0件)最初の☆評価を!
カリスマ 平均 0件)最初の☆評価を!

人物解説

伊豆の豪族北条時政の娘として生まれ、後に源氏の棟梁となる源頼朝と結婚し御台所となった。1180年の頼朝挙兵後は鎌倉幕府の成立を支え、頼朝との間に頼家・実朝ら子女をもうけた。頼朝の側室問題では、亀の前をめぐる嫉妬の逸話が『吾妻鏡』に記されるなど、気性の激しさを示す逸話も伝わる。1199年に頼朝が死去すると出家して尼となり、以後は尼将軍と呼ばれた。1219年に子の実朝が暗殺されると、京の九条家から幼い藤原(九条)頼経を将軍として迎え、後見役として幕政を主導した。1221年の承久の乱では、動揺する御家人たちを前に頼朝の恩義を説く言葉を発したと伝えられ、幕府方の結束を促して勝利に導いたとされる。1225年に死去した。晩年まで幕府の実権を握り続けたその強い政治力から、後世には「日本三大悪女」の一人に数えられるなど評価が分かれることもあるが、頼朝と共に鎌倉幕府を創始した女性として、日本史上屈指の女性権力者に数えられる。

師弟・影響

この人物の師弟・影響関係のデータは準備中です。

生涯・年表

この偉人の伝記・関連書籍 PR

※楽天ブックスの検索結果への広告リンクです。

同じ時代の人物 ▶ 中世の偉人をすべて見る

出典・このページについて

最終更新: 2026年8月26日

本ページは、公開されている歴史資料・百科事典等をもとに偉人ラボ編集部が作成した参考情報です。年代・事績には諸説ある場合があります。正確な情報は各一次資料・公式情報をご確認ください。

さらに詳しく:Wikipediaで「北条政子」を調べる  / 運営者情報:運営元について

← 偉人一覧へ戻る 人気ランキング →